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2005年04月06日

平和な街・藤沢を市民の手で 平和無防備条例ニュースNO.65

     2005年4月6日 戦争非協力・無防備条例をめざす藤沢の会
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明日4月7日(木)「議会運営委員会」の傍聴にご参加ください。
本館3階ロビー9時集合 9時30分開始 (午前中に終わる予定)
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 臨時議会を行う前に、意見陳述者の人数や方法、時間などを議会運営委員の議員さんが打ち合わせします。請求代表者の発言時間が充分に取れるよう要望書を出しました。市民の注目していることを示すためにぜひ傍聴をお願いします。

■私たちの主張 12 
<軍隊を拒否し住民の命を救った沖縄の前島-過去から学ぼう>
   「日本でも「非防守」が守られた例が1箇所だけあります。沖縄の渡嘉敷村の前島です。沖縄は日本で戦場になった唯一の地域ですが、それだけに沖縄戦といえば住民虐殺、集団自決、玉砕といったイメージで考えられます。そんな中で、渡嘉敷の島々の1つ前島は、戦場にならなかった。
 それは、たまたま前島の国民学校分校長先生が中国大陸での戦争経験者で、軍隊がいるところは必ず攻撃されることを知っていました。米軍上陸前に日本軍が前島に駐屯しようとしたとき、断固駐屯しないよう交渉したわけです。・・その結果、米軍が上陸して島を調べてみると日本兵が一人もいない。米軍は、いままでどおりの生活をしなさいと、いって帰っていった。」(「時代を生きる」より抜粋 評論家林茂夫氏 日本評論社)と書かれています。前島のことは81年6月19日の琉球新報が報じています。
<軍隊を遠ざけ命が救われたこの事例は、現実的な選択であることを実証>
 当時は、まだジュネーブ4条約と追加議定書はありませんが、米軍が戦前のハーグ陸戦法規(防守されていないところを攻撃してはならない)に従い攻撃しなかった事例です。ハーグ陸戦法規では、相手の軍隊に法規を守る判断をまかせていた訳ですが、ジュネーブ条約の「無防備地域宣言」は、相互に確認しあうという点で住民保護を一層確かなものにしています。又この事例から、無防備地域宣言をした際、仮に「自衛隊」との調整の必要が出たとき自治体が交渉し合意を得る役割があることも示しています。
 議員さんとの話し合いで、「平和の理念としては理解するが、現実的ではない。」とおっしゃった方がいます。軍隊で住民を守れるということは現実を見ない「幻想」です。無防備地域宣言は、過去の教訓を活かした現実的な選択です。

■今後の予定
●4月9日(土) 拡大スタッフ会議(どなたでも参加自由) 
  13時 藤沢市民会館
●4月12日(火) 臨時議会(9時 本館3階ロビー集合)
  9時30分議会開始 (午前中の見込み)
  ※市長が、私たちの条例案に対して意見を述べる場です。
   ぜひ、傍聴に参加をお願いします。
●4月18日(月) 臨時議会(9時 本館3階ロビー集合)
  9時30分議会開始 (1日中かかる見込み)
  ※請求代表者が意見を述べます。この日で、条例案が採決されます。
   参加できない方は、事務所にFAXかメールで「議会に望む声」を寄せてください。

投稿者 藤沢の会 : 2005年04月06日 20:53